Emergent Properties



それは「世界にひとつ」を探す旅 ———

■ 世界にひとつは命の数だけある。


1. プロローグ: ノスタルジア展へようこそ

現代アート…何?という方、初めまして。この冴えない人前に見たな方、またお会いできて光栄です。写真家/現代アート作家の九条いつきです!

今回の展示はノスタルジーがテーマ。2017年に開催した『メテオロスケープ展』をリメイクし、古い写真で懐かしもうの企画です。2010年代の一大目標・東京五輪も閉幕、またひとつ時代が遷りかわったが故に人は失われた時を求める。過去を振り返り今を識る、いわゆる温故知新です。

そしてついでといってはなんですが、件の『メテオ展』から始まったイザコザの決着をここでつけようじゃないか!ということでね。

話を整理しましょう。僕が『メテオ展』で展示したかったのは、実はとある概念(コンセプチュアルアート)でした。それが「世界にひとつを個人でつくる」です。というのも、当時「世界にひとつ」の在り方は一つしかないと考えられていました。

それは言うなれば、「世界にひとつを王が決める」。国家や大企業といったヒエラルキーが、「原典」たる「世界にひとつ」を決定し、その複製を管理するという概念。これが僕たちの世界、生活の土台です。

だからこそ見過ごしていた、もうひとつの当たり前にある在り方。

これを形而上から実用上に落とし込むため、僕が思いついたのが「誰もが閲覧できるインターネットで取引履歴を共有する」というアイデアです。当時喧伝されていたビットコインの仕組みを、お金だけでなくあらゆる物事に適用すれば「世界にひとつを個人でつくる」が実現できる、そんなことを考えました。

…な、何をいっているのかわからねー!?という方にまずお伝えしたいのは、なぜこんなものが必要なのか?その理由です。

端的に言えば、ディストピア未来を回避するためですよ。

今でも僕達の衣食住は、ほとんどが複製品です。この先さらにコンピュータ・インターネット・AIの進化がもたらす複製可能領域は、もしかするともはや人そのものかも知れません。

それが完全でなくとも、それに近しい状態となった時、もし僕たちの手に「世界にひとつを王が決める」という社会モデルしかなかったとしたら、人倫の代行者たる ” 王 “が、人そのものに至る複製可能領域を管理せざるを得なくなります。

なぜなら野放図な複製品は、原典の価値を毀損するからです。

CDからリッピングされた複製音楽データがネットで流通するとCDを購入する人がいなくなり、代わりに握手券として販売するアイドル団体が業界を席巻して、野良ミュージシャンがいなくなる。それを防ぐにはCDの個人所有を止め、サブスクで統一したストリーミング配信に切り替えないといけないが、そんな新技術サブスクは非常に便利な一方で、なにか起きたとき管理者の采配ひとつで全ての作品が削除され、存在を跡形もなく抹消される危険がある。

これは一例です。このままだと複製可能領域が広がる程、音楽に限らず、あらゆる物事に強力な統制が必要になります。その分だけ人は、その自由と独立を手放さざるを得なくなる。最終的には絶大な権力が一部に集中し、大勢は存在すら抹消されないよう怯えて暮らすディストピア未来が到来する。

これが「世界にひとつを王が決める」モデルの限界じゃないでしょうか

「僕はイイ王様だからそんな言いがかりは違う」という方はTwitterアカウントまでお越しください。意図的にスルーしている場合は完全に認めたと認定します😉(事実上、僕自身がその”消されている”人間のうちのひとりという実例なので)。

そして「世界にひとつを個人でつくる」はそのアンチ・テーゼ。

2017年はまだ机上の空論でしたが、2022年の今では現実に『NFT』としてビットコインと共に市民権を得るところまで来ています(実際のところ僕はアイデアを公開しただけなので、ただの私見なのですが)。なにはともあれ、これでめでたしめでたし。素敵だね…。

ところが話はここで終わらないんですよ。というのも、NFTどころかビットコインも価値なんかない、詐欺だとする意見が徐々に大勢を占めはじめたからです。

2. 個人でも「世界にひとつ」

僕たちの世界、その基盤となっている社会モデル「世界にひとつを王が決める」。それこそが富・名声・力、そして来るべきディストピアを運命づけている原因ではないだろうか?未来を危ぶんだ男 “海賊王” ゴールド・クジョー。彼の死に際に放った一言は、全世界の人々を海へ駆り立てた。「おれの財宝か?欲しけりゃくれてやる…探してみろ!この世の全てをそこに置いてきた!」男(女)達はグランドラインを目指し、夢を追い続ける。

世はまさに、大NFT時代———!!

いつゆき「なんだろう…途中から”ウィーアー”始めるの、やめてもらっていいですか?」…『世界にひとつは命の数だけある。』篇は、ここから始まる。

というわけで、最近は世界政府直属の海軍本部が絶対的正義の名の下にビットコイン四皇とNFT海賊達を取り締まる動きを見せているという話でした。

それにしてもなぜこうなってしまうのでしょうか?ビットコインやNFTが海賊行為で犯罪だからでしょうか?そもそも個人で「世界にひとつ」をつくることなんて不可能だからでしょうか?

はい、オワコン。

だがちょっと待って欲しい。『原典と複製』の著者という立場から言わせてもらえば、既述の目的に反して今は誤解と混乱がいくつも生まれている、それが取り締まりの理由と言えないだろうか?一発だけなら誤射かもしれない。

そしてそれはやっぱり反論して解いておきたい。そうじゃないと、せっかく出た希望の芽が潰えてしまうじゃないですか。

そこで今回、『原典と複製』と対となる『個性と創発』(この論考はその中の一篇です)を上梓し、その大いなる誤解と混乱をひとつずつ解いていこうと思います。

…はたして誤解とは何か?なぜそれが起きてしまったのでしょうか?

3. 誤解の原因その一 「混同」

さて、むかしむかし遡ることn年前…僕が同人誌『原典と複製』内で記述した概念「世界にひとつを個人でつくる」は、長い前置きと単純な一文でした。その単純な一文とは「取引履歴の共有が偽造を防ぐ」。これだけです。ただこの共有を実行するには、三つの前提となる条件があります。

  • 前提条件1: 全体量は初期決定され、変更されない
  • 前提条件2: ミニマムプライス(原価値)はサイズ、つまり制作者及び譲受者双方のコミットの多寡により決定される
  • 前提条件3: 取引履歴は公開されていて、誰でも閲覧できる

誤解をしようがない簡単な内容に思えます。ですがコトのなりゆきを見ていると、全体量を事後に増やしてしまうという初歩的なミスを脇に置いても、どうも誤解が生じている。そしてその一つは、ここに書いていない事柄が持ち出されることで生じている。言うなれば、「世界にひとつを王が決める」というモデルと「世界にひとつを個人でつくる」というモデルとを混同したため発生しているようなのです。

そこで再度「王が決める」モデルから説明すると、こちらは初めに王が神聖不可侵の「原典」を設定し、それを「複製」するという考え方です。譲渡するのはその複製物であり、それが野放図に再複製されないよう管理統制します。何度も聞いて耳にエビができそうです。

それに対して「個人でつくる」モデルでは、そのような内容はそもそも記述していません。初期段階では「原典と複製」は分別されていないのです。譲渡物は神聖でもなんでもありません。複製品か、どこか他の島から勝手に持ってきた物か、もっと酷くて海の中に捨てられている電子のゴミなのかも知れない。

ですのでNFTは譲渡物がデジタルデータであって、いくらでも複製できるじゃないかケシカラン、というようなご指摘には当たらない。無敵です。

えっ…また無敵なの?意味が分からない。という方には、こう言い換えてはいかがでしょうか?

つまり譲渡物は「原典」でなければならないとする、そこが誤解なのです、と。

エエッ?!「原典」じゃないんだったら、やっぱり詐欺じゃないの?そのように思われるかも知れませんが、よくよく考えてみてください。自然状態において、神聖不可侵なモノなど初めからあるでしょうか?否、ありません。海の中を泳いでいるのは(普通の人にとっては)一匹一匹分別できない生きた魚であり、ハナから漁港や各ご家庭ごとに振り分けられている切り身が泳いでいる、そんな荒唐無稽なことはないのです。

でもそれなのに、スーパーでは毎日値段のついた魚が売られていますよね?それは何故かというと、市場の開始時刻にその日一日の漁獲高が決まり、諸々の市場作用が働き、すると妥当なところで原価値が設定されるからだと思います。

先の三つの前提条件というわけです。

普段、価格決定権を司る ” 王 “が決定するプライスに人々が粛々と従うような二次三次産業の世界に住んでいると思いつかないことがありますが、一次産業ではこの作業が一般に、ごく当然に行われています。

なので僕がしたことと言えば、そのプロトコルをインターネットのような文明の利器を使って再現してやれば写真という複製物にも同じように適用できる、もっとコンパクトにすると個人でも運用できる。

それが「世界にひとつを個人でつくる」というモデルだ、とそう指摘しただけなのです。

4. 誤解の原因そのニ 「創発」

ただこういう風にいうと、なんだそんな話かつまらない…そう思わないでしょうか?あまりに簡単な思考の近道が出来てしまうので、逆にその違いや全体像が分かりづらくなる。

何かを知る時には「遠回りがいつも最短のルートだった」ということがあります。

例えばでいうと、通常のセリは限られた市場関係者のみが情報を共有しているのに対して、こちらの情報共有範囲は全世界を含むというような違いがある。そして僕が思うにこのインターネットを利用した「無際限の共有」は、一種の擬似的な ” 次元 ” です(※1)。

ここで僕は非常に面白いことが起きているのではないかと考えました。それが、ごちゃ混ぜの未分化状態から突如なぜか「原典」が分化しているという「創発」作用なのです。

「創発」とは、本来はモノの集合体でしかないにも関わらず、そこになぜか個性が宿り動き出すという現象のこと(※2)。日本全国米農家は数あれど、新潟のそれも魚沼産の特にコシヒカリは格別美味いですという話になって、ブランド米になりますよね?もちろん米の種類が違ったり、育成環境が違ったり、仕掛け人がいたりするわけでしょうが、ともかく違いが認識できるようになります。

これってよく考えたら、未分化なモノに外部と内部を分別する膜ができ、なぜか彼と我を隔て活動を始める “生命” あるいは “意識” の作用そのものじゃないですか?

そのように考えた僕は、そこで生命の発現と「個人でつくる」モデルとの類似性をまとめ、例として「シュレーディンガーの猫」問題を絡めて論じました。それが『シュレーディンガーのパラソル展』(※3)だったのです。

「シュレーディンガーの猫」は、話題の量子論であるだけでなく、「個人でつくる」モデルの説明にもってこいで、厨二的な世界観にもなり面白かったのです。

しかし残念なことに、これがまた誤解を生む原因になってしまいました。

というのも、意識は科学的な実験で解明されている事柄では無いからだと思います。そこに科学者でもない人間が仮説提唱をして、怪しげな印象は増すばかりになってしまう結果に。ちょっと反省…。

ただそれによって最低限の事柄、この世界には科学実験で明らかにできる物理上の次元と、それとは異なる次元、それぞれの作用が多層的にあるはずだということが指摘できたと思います。なぜ「個人でつくる」というモデルには前提条件なるものが必要なのか、ある程度説明できたのではないでしょうか。

しかもこのことは、数学とは形而上学だと指摘をするだけで簡単に証明できる話であり、人は普段ソレを利用してやまないのにも関わらず、そのことにまったく無自覚なのです。

ですのでそちらの考察と、加えて意識の科学とその歴史(※4)についても補足説明を行いましたのでそちらも併せてご参照いただき、個性の「創発」は今現在は科学的に解明されていなくても、現実が実際そうなっているのだから仕方ないだろうというしかありませんよと、お察しください ———。

言うなれば、世の中は物理で完結していてそれ以外は不正だとすること、それが誤解なのです。

いつゆき「…え?精神はアルゴリズム?じゃあなんでそのアルゴリズムは存在するんですか?それって”精神”を”アルゴリズム”と言い換えてるだけですよね?」

5. 【ちょっとコラム】意識の汎唯一性について

意識は汎唯一性をもっている、だから「世界にひとつを個人でつくる」モデルは現実に作用する。そんな説明が全く通用しないとは誤算でした。というのも、知る限り僕の意識は「世界にひとつ」であり、それに僕個人のものであることは自明のことだったからです。

まあ未来にどんなガジェットができるかは分かりませんよ?

でも今のところ僕の意識は左右の眼を片方づつ瞑ってもそれぞれが違う意識なんかにはなりません(我が邪眼の封印を解くことで記憶を取り戻したり、性格が変わったりしません)し、意識だけ突然身体を離れてどこか遠くで目覚めたり、あるいは女子高生と入れ替わったりもしないですし、まして同一意識を複製した影分身を作り出して片方は仕事をしてもう片方は嫁のヒナタとイチャイチャするんだってばよ、ということもありません。

だから n=1 たる僕の意識は「世界にひとつ」で、n+1, n+2, n+3, …たる他の人達も同じくそのようになっているはずだ=汎唯一。

ところがそう単純に思わない人もいるそうで、片方には意識を持っているのは自分だけで他人は幻想、哲学的ゾンビだとする他人否定説を説く人がいるらしく、その逆には、そもそも自分は意識を持っておらず、ただ神経繊維が外部刺激に反射しているだけ、人が勝手につくり出した幻想それが意識、とする自己否定説を言い出す人がいるらしいです。

いつゆき「…いやこの人達どんだけ幻想好きなんだよ!そんな毎日毎日幻想みてるの?アタマ剣と魔法の世界かよ!だったらもうオレたちズッ友じゃねーか!」

という訳で、こういうことを真剣に悩んで「我思う故に我あり」とか言い出すのは男の役割でして、女の人はそういうのを冷ややかに見てきて「そんな事で悩んでる暇あったら仕事しろ!」とか小言をいいつつ子供を産んで、それが別の意識をもって喋り出すのを世話するみたいなところがあります。

だいたい同じDNAをもつとされる一卵性双生児でも同じように育てた所で同一の意識を持つことはついぞなく、それぞれが別の意識をもつのだから、物理上とは異なる作用が働いているのだろうことは想像に難くない…。難くない?

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6. 誤解の原因その三 「価値」

ところで、ここまで説明すると重大な誤解はもうひとつあることに気づきます。それが ” 価値 ” の問題です。というのも「世界にひとつ」という言葉には、ただ数値的に1であるという意味と、希少性があって大変価値があるという意味、どちらも含まれているからです。

それは多分ですが「王が決める」というモデルの社会で生活している僕たちにとって、そう考えることが自然なことだからだと思います。なにしろこのモデルでいう「世界にひとつ」とは、神聖不可侵の「原典」だけがあり、その王国にはスペアの複製品すら存在しないということだからです。すると当然、それには希少価値があるということになる。

ところが「個人でつくる」というモデルにとっては、数値的に1と特定することと、それに価値があるということは全く別の話なのです。それこそ物理上と形而上とでは次元が異なる、それと同じような意味合いです。

といって僕もこれには驚きました。自分で「希少価値ってありますよね?」みたいな事を得意気に言っていたにも関わらず、実は ” 希少 ” と ” 価値 ” はそれぞれ別の概念であり ” 次元 ” だったとはね。一杯食わされましたよ。

ですがそれも当然じゃないですか?なにしろ『3. 誤解の原因その一』で述べた通り、「個人でつくる」モデルにとって譲渡物は、神聖不可侵でもなんでもないのですから。

そしてこの誤解、数値的に1であることとそれに価値があることは同じだとする誤解(ある意味「混同」でもあります)が、数ある混乱の中でも一番大きな影響があった事柄だったように思います。

制作者に無断で登録されたデータを勝手に販売できるからけしからん、デジタルデータのアイコンみたいなモノに超高額の値段がついているからこれはマネーロンダリング。そういった、” 無価値 ” のモノを数値的に1である形にしたが為に不相応な価値がついている、そのような受け取り方がいわゆる詐欺のように思われた。

…でもそれは誤解です。

もうご理解いただけたかとは思いますが、NFTという仕組みが担保しているのは譲渡物の ” 希少性 ” だけなのです。” 価値 ” じゃないんですよ。

引き続きこれを漁師の喩えでいうと、たとえ元は同じ群れの魚でも、2隻の漁船が別々に獲ったらその魚の所有権はそれぞれに宿り、さらにたとえ漁獲高が同じだったとしても、船上の後処理工程などによってそこにつく価値は大きく変わるかも知れないのと同じです。

加えて指摘すると、この希少性と価値の関係性は丁寧に隠蔽されているものの、「王が決める」という社会モデルであっても実は同じように別問題のはずなのです。

例えばですが、砂漠のど真ん中に放り出されて死にそうになっている状況で、いきなり砂漠の女神がザバーッと現れて、あら…貴方が落としたのはこの金のダイヤモンドだったかしら?それともこの銀のダイヤモンド?どっちでもデビ○ス社の「世界にひとつ」鑑定書付きだから品質は保証するわよ!と言ってきても、正直者の僕だったらこう即答しますよ。

いいえ、私めが落としたのは、みすぼらしいペットボトルのミネラルウォーターです…あ、でもすごいキンキンに冷えていました!あとできれば軟水で!とね。

たとえ後から考えれば、もう10分歩けばオアシスが見つかったのだとしても…。

だから一番の希少性である命は大切にね!という話(※5)をしていたのですが、そうしたら北方で戦争がおきていました。きっと電気もたくさん浪費しているに違いありません。

ことほどさように、人の世では価値の方だけ見て、希少性には眼を瞑るという事態がママおこることが分かります。だいたいこの論稿のタイトル『世界にひとつは命の数だけある。』を見た貴方、それだったら「世界にひとつ」=命なんかになんの価値もないな?って思わなかったですか?

思った人は正直に手を挙げて反省するように。

しかしそうすると、はたしてNFTのような仕組みをわざわざ作って希少性を担保することに意味はあるのか?という話になってきます。価値のないモノが希少だといってどうするのでしょうか?

ですがそこで『4. 誤解の原因その二』に戻ってみてください。「個人でつくる」モデルというのは、未分化な状態から個性が創発されることを目論んでいるということだったと思います。

つまりもし、違いが認識されて希少性という次元が担保されるのであれば、その上層に存在するこの一見不思議な ” 価値 ” という次元の方は、個人の泥臭い努力で捻り出せばよいということです。

というわけで、個人に ” 価値 ” を取り戻す!イツキノミクスが提唱した三本の矢は下記のとおりでした。

  • 1の矢: 行動に責任をもつ
  • 2の矢: 共感・シンパシーを得る
  • 3の矢: 成長する(成人の儀式あるいは逆境を乗り越える)

さっきからなんだか説教くさいな?と思うか知れませんが、これらはメテオロスケープ・プロジェクトが独自に行っていて、NFTでは実施しないような、とんでもなく余計な施策のことを指しています。それが

  • 「譲渡する写真に無くても構わない交換保証をつける」
  • 「規定の売上が上がるまでは自らに縛りを科してサイズ制限を設ける」
  • 「その譲渡する写真には嫌なモノが写っているかも知れないと宣言する」

です。というのも僕が譲渡物としている写真に価値は、元からはありません。

写真は世界中で撮影され、毎日ネットで共有されています。閲覧無料です。むしろ要らないといっても、広告だからといってとんでもなくハイクオリティな写真や映像を見せてきます。

カメラマンの労働に対して対価を払うであるとか、インテリアとして売られているから買うであるとか、写真集つまり本を買うとか、はたまたカレンダーを買うので写真はオマケとかいうことはあっても、写真そのものを一枚切りで売りますといっても普通誰も買わない。

それは件のNFTで出品されているという様々なデジタルデータだってきっと同じです。誰も購入まではまだいかない。もちろん既に価値が定まっている美術家の作品だったり、知り合いで価値が分かっているような場合は別ですよ?するとむしろ実体がなくデジタルの方が、邪魔にもならないしノリで買っちゃったよみたいなことがありえる話じゃないでしょうか?

しかしだからこそ、三本の矢なのです。

この三つの事柄は、人が生きていく上でみな当然のように行っていることでありながら、いわゆる典型的な ” 英雄譚 “の一種です。

その中で、僕たちのヒーローは始めは未分化状態です。どこの馬の骨とも分からず、死んだ魚のような目をしているかも知れません。しかしストーリーが進み、時が流れると徐々に責任ある行動が共有され、共感を得て成長する。更にそれらは譲渡者だけでなく、譲受者となる側にも相補的に作用します。

すると自ずから価値が感じられるようになる。それが人類が普遍的に語り継ぐ典型的な英雄譚であればこそ、価値が創発される。

———なぜなら ” 価値 ” とはコミット、つまり思い入れのことだからです。

…これが僕の考えなのですが、この辺りの機微があまり理解されないのも誤解の原因だったか知れません。

7. そして立ちはだかる四つ目の”誤解” 「地獄」

さて、ここまで三つの誤解を解いてきましたが、僕はもうひとつ致命的な ” 誤解 ” があると思っています。その四つ目の ” 誤解 ” とは、そもそもこの個人でつくる「世界にひとつ」の求め方が間違っているとする見方です。

???「未分化の状態を放置して、時間と共に『創発』するだと?怠惰なヤツだ。確かにキサマが述べたように『世界にひとつを王が決める』というモデルは行き詰まっている。であればそんな紛い物 ではなく、真(シン)に『世界にひとつ』を新たに用意すればいい…。」

人を無きものにせんとする黒幕が、なにかよく分からないことを言っています。ですがこの黒幕は身近に大勢いると思います。そして彼らの主張を読み解くには、身の回りの状況をよく観察してみないといけません。

例えば2022年の今、話題のイラスト作成AIの話はどうでしょうか?

ここでいうAIとは、いわゆる『Midjourney』のこと。『Stable Diffusion』でも構いません。指定したキーワードを元にAIが自動で画像を生成するWEBサービスです。

このAI、生成するイラストがまた上手い早い安い仕事キッチリだそうで、2022年の7月ごろから描かれたイラストを見ることが多くなりましたが実際スゴイ。もうイラストレーターの職がなくなるんじゃないかと噂されるほどでして、ちょうど19世紀に写真が発明された際、肖像画家の仕事がなくなると言われた状況と似ています。

いつの間にか、そんなことが出来る時代になっているんですね(※6)。

ただここで言いたいのは、イラストレーターが職を失うということではありません。それは要するに新しく複製技術ができたことで、イラストレーターがAIオペレーターにジョブチェンジするかも知れないというだけの話です。

そうではなく、それと同時に起きていること。AIの「深層学習」と「IDEA」という概念がやはり非常に近いところにある。それが示されているということを言いたい。というのも、それは以下の事態を当然に予期させるからです。

純粋に「IDEA」を扱い、またそれをデザインすることを生業にしている人達にとって、それが複製されかねず、今後大きな影響を受けざるを得ない。

僕は『芸術には3通りある。』(※7)でアートは ” 仕事 “と密接な関係にあると言いましたが、「IDEA」の複製となると、ひろく職人とデザイナーの仕事への影響は不可避だと考えています。

するとどうなるかというと、だいぶ抽象表現になってしまいますが、デザインアートへの思い入れが減じ、価値が相対的に失われるため、全体が職人の方へシフトしていく。そして職人はAIに安直に複製されないよう、今よりさらに秘密主義で選民志向になるのだろうと思うのです。

例えばですが、誰でもデザインできるソフトウェアのはずの『イラストレーター』ですら、もうどう使っていいかよくわからない秘密だらけですよね?解説サイトが賑わったりします。それが今度は、ほぼ完成品のイラストがAIで量産されるようになります。

するとデジタルなんか使わず、全て鉛筆で描きますという人が有名になりませんか?今でもそうですよ、そっちの方が偉い。そこで培われる技術は、秘密裏で複製が難しい。フフフ…私は ” 神の手 ” を持っているから、まるで生きたリンゴを描けるのだよ、とね。そして…

???「その研鑽の遥か彼方、それが本当の希少価値。シン・『世界にひとつ』だ。」

これが黒幕がいう所の「世界にひとつ」なんじゃないでしょうか?最近はそんな考えがいろんな所で透けて見えることがありますよね。

機械にすり潰されたきっと何者にもなれないモブに価値はなく、価値のある限られた美しい国民だけが生存した方がいい。日本は人口半減して見目麗しく有能で従順な五千万人が生き残ればいいのだ、後はAIが全て処理する。それが地球環境にもセクシー的な理想。

いつゆき「それがナチスですよ。ナチスファッションしてる方じゃなくて。」
グラサン「そうだそうだ!そんなこと言ってるからクローンのアヤナミであっても、それぞれ別の意識をもった唯一の生命なんだって理解できないんだよ!」

…また途中からアニメの話になってしまったような気がしますが、要するに言いたいのは、このような事は過去、人類は経験済みということです。そんな歴史は繰り返さなくていい。そんな「世界にひとつ」は、はっきり言って要らないんです。

職人の技が光るのは毎日の生活で研鑽、その結果です。光らせるのが目的ではありません。

誰だこんな地獄持ってきたの。

8. エピローグ: アートと譲渡と、時々、写真

というわけで、5年前に提出した「世界にひとつを個人でつくる」という概念にまつわる様々な誤解と混乱を見てきました。もしかすると、行き違いは他にも沢山あるのかも知れません。

しかしここまでくれば「ビットコインやNFTに価値はない」という言説がいかに傲慢で視野狭窄か、ご納得いただけたのではないでしょうか?

そもそも、ひとの思い入れにそんなの価値ないよとケチをつけるなんていう行為は、始めから慎むべきですよね。僕も他人のことをあまり言えませんが。夫の趣味のプラモデルを邪険に思った妻が、夫が仕事に行っている間に無断で棄てたりしたら、まさに離婚の危機ですよ。

とはいえ、その思い入れ対象が犯罪や今話題のカルト活動であって、関与する当人たちの人生を破壊するようなモノであれば話は別ですよ?そんなの価値ないよと僕も言いたくなる。

ただこの「世界にひとつを個人でつくる」というモデルは犯罪どころか、この先も「世界にひとつを王が決める」というモデルが安定稼働するために必要不可欠な概念であり、そしてそれは例の ” 地獄 ” を地上に現出させないためにも必要な存在である、そう僕は思います。

だってそうじゃないですか?

既に指摘したように「個人でつくる」モデルが存在しなければ、人はその自由と独立を手放さざるを得ず、個人の存立すら危ぶまれる。それがディストピア未来だと言いましたが、僕にはそれがまさに現在進行形で起きている事態のように思えるのです。例えば Me,too や BLM といったカウンターが活発になったのはビットコインが登場してからというのは、はたして偶然でしょうか…?

それにこれは誰かの指図で存在している訳ではなく、そこに価値を感じる参加者が自主的に行っていることです。NFTで譲渡された作品の最高額は75億円(※8)でけしからんというか知れませんが、例えばあるひとつの作品を維持する個人ひとりを支持するためには、一年300万としても一〇年維持で3000万はかかるものであり、そんなパトロンを騙されてやっているということがあるでしょうか…?

加えて今は無価値に思えるアイコンひとつでも、一〇〇年もすれば時代を表現するモノになるかも知れません。もちろんそんなことはなくてただの失敗になるかも知れない。しかしそれが「IDEA」という ” 正解 ” を追い求めず、むしろその周辺の ” 不正解 ” 領域を逍遥する現代アートなのではないでしょうか…?

だから未熟な部分、例えばビットコインは維持のために莫大な電力が必要になっているであるとか、NFTが盗品に希少性を付与している場合があったとして、僕としてはまだもうちょっとその辺りに価値を感じてもらいたい。

特に、価値ない宣言をしだした例のパソコン富豪おじさんは問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。自由や独立を手放すことを是とする前に、人に機会を与えるのが筋ってものじゃないのかと。

…そしてこんなパンデミックや戦争がおきている世の中だからこそ、「世界にひとつを個人でつくる」ということに、もっと価値を感じてもらいたいと思っています。

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これで『原典と複製』から始まった、大いなる誤解と混乱の話はおしまいです。くぅ疲れました。願わくば「世界にひとつを個人でつくる」という概念が、これからも人口に膾炙しますように。

それと最後にもうひとつだけ。僕が制作している写真作品について、上に付随した誤解を解いておきたいことがあります。

このサイトをご覧になると、僕がそれらを「IDEA」的な ” 正解 ” に近いデザインアート Graphic Work と、” 不正解 ” の現代アート Photographic Work とに分けていることにお気づきだと思います。もし譲渡するということを考えた時、おそらく抵抗感が少ないのは Graphic Work に違いありません。それに対していわゆる「現実」が写っていて、そこに相当の思い入れがなければ譲渡されることはないだろうというのが Photographic Work という訳です。

そしてこの違いとは、これもまた誤解を大いに招いた喩え話になってしまったようですが、『インテリアアート導入プログラム』(※9)でいう傷の見えない縮小画像と、それが明らかになってしまう大きなサイズの「原典」との違いと同じだと思っています。

ですが、だからと言って Graphic Work の方を化粧済みで複製可能と否定していたり、Photographic Work の方を修正を一切していないから逆に ” 正解 ” だとしている訳ではありません

(ついでにいうと写真として被写体を消去する修正はなるべくしないようにしているものの、どうしても必要な場合は、どちらにせよ修正していることがありますし、ノイズだらけの昔の写真をAIによる補完によってなんとか見れる物に修正していることがあったりします。その不愉快な ” 現実 ” を知りたい方にはお伝えします…。)

まあ確かに、今後人が抱く思い入れの強さはデザインアートよりも現代アートの方がきっと勝るに違いないと思われます。どれだけの人が量産される絵にいつまでも思い入れを保てるでしょうか?

しかし『写真芸術にも3通りある。』(※10)でも述べたように、現代においてデザインアートと現代アートとは、あくまで制作者が提出した仮のカテゴリでしかありません。それがどちらに属するかの判断は制作者ではなく、あくまで譲受者に委ねられている。

というのも、断言しますが「IDEA」完全なデザインも、本当に「IDEA」から逃れらている現代アートもあり得ないからです。

だからこれからどれだけAIが進化しようと、量子コンピュータが開発されようと、人の代わりに働けるロボットが生まれようと、「世界にひとつを個人でつくる」という概念があれば、しばらくの間ヒトはディストピアに陥らず、今とさほど変わらず過ごせるはずである。

いやなぜそんなことをハッキリいえるのかって?そんなことは簡単ですよ。それはもちろん…

——— “No Man is Perfect.” だから、なのです。(※11)

注)

  1. 一種の擬似的な ” 次元 “: ここでいう次元とは物理空間ではなく、数学的にいう複数の独立した座標面のこと。『シュレーディンガーの猫という問題とその答え;』https://meteoroscape.com/conceptual-works/life/ 参照。
  2. 創発: 要素間の局所的な相互作用が全体に影響を与え、その全体が個々の要素に影響を与えることによって、新たな秩序が形成される現象。 ー デジタル大辞泉(小学館)より。
  3. シュレーディンガーのパラソル展:『シュレーディンガーの猫という問題とその答え;』https://meteoroscape.com/conceptual-works/life/ 参照。
  4. 意識の科学とその歴史:『九条いつきとは何者か?或いはハイデガー的存在論への反駁』https://meteoroscape.com/conceptual-works/individual/ 参照。
  5. 一番の希少性である命は大切にね!: 同上 参照。
  6. そんなことが出来る時代になっているんですね: 絵師の人たちは大変ですね…と他人事のように思っていたのですが、公開された画像生成の手法が『人為的アルゴリズムで最高に街な画像を作ろう!』と完全に一致していて「いや発端、自分かーい!☝️💦」となった件。でも「深層学習」はグーグルが既に抑えているのだから、時間の問題じゃないかと思います。似たような発想が世界のどこかであったかもしれない。
  7. 芸術には3通りある。:『芸術には3通りある。』https://meteoroscape.com/conceptual-works/art/ 参照。
  8. NFTで譲渡された作品の最高額は75億円: 市販されているNFT関連書籍をご参照ください。更新される可能性もあります。
  9. インテリアアート導入プログラム:『「世界にひとつ」には2通りある。』https://meteoroscape.com/conceptual-works/one-and-only/ 参照。仰々しい命名。
  10. 写真芸術にも3通りある。:『写真芸術にも3通りある。』https://meteoroscape.com/conceptual-works/photography/ 参照。
  11. “No Man is Perfect.”: 映画『Some Like It Hot』より。古い映画なのできっと誰も気づかない引用。さて、ここまで到達した希少な方は前項の『九条いつきとは何者か?或いはハイデガー的存在論への反駁』https://meteoroscape.com/conceptual-works/individual/ を振り返っていただくと「世界にひとつを個人でつくる」という概念が、人の意識・現象学を踏まえているとご理解いただけるのではないでしょうか。

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