原典と複製の関係性は個性と創発に発展する
■ 附記
芸術と写真の附記からラジオ風で続いています…。
📻実は今まで言っていなかった”しくじり”がもうひとつあってですね、それが「目標額を設定とかすな」です。
これはもう僕が〈世界にひとつを個人でつくる〉概念をしっかり把握していなかったが故の間違いで、申し開きもございません。しかも『創発展』自体は一回公にした後すぐに撤回したのですが、その後ずっとその「目標額」に公約みたいな形で縛られ続けるという事態になってしまいました。
でもまぁ”創発”自体は言っておかないといけないし、でもこれでは他者に依存する形になって”個性”は保てないし、でだいぶ厄介でしたね。正解は
「大枠の金額を決めて、その中で自由に工夫する」
でした。今から考えてみたら当たり前で制限は制限じゃないんですよ。まぁこの事については後ほど…。
それよりこの失敗でおこったことにご注目ください。
<<<時間かせぎ>>>👈これ
もうこの時点ではとりあえず時間かせぎしないといけなかったので、大間違いも非常に役に立ったということにしておいていただけると幸いです。
なにしろイチからやらないといけなかったですしね。それで『芸術には3通りある。』や『写真芸術にも3通りある。』といったエッセイで交通整理をしたり、「芸術は”創発”だー!」といって展示会を企画していました。
さて先程から唐突に出てきているこの”創発”、結局なにがしたかったのかというと…まぁ〈独立した個性〉づくりですかね?
それが無ければ世界は暗黒の闇に包まれます。
ですが最初〈世界にひとつを個人でつくる〉はピクリとも動かず、まさに世界は暗黒の闇に包まれていました。ビットコインには上手に傾斜がついて全体が動くのとは大違いです。例えれば、どんぐりを蒔いて「芽が出ない芽が出ない」と言っていたわけですよ。
そんなドングリでしたが、だからといって砂漠に埋めるような明後日の努力をしていた訳ではありません。
むしろ逆で、今から振り返ったら自分でも気づいていなかったほど天才の展示会を連発していたと思います。
『兆し、或いは魔の山にて展』ではズバリ「連想」をテーマにした作品を展示してましたし、『シュレーディンガーのパラソル展』ではデザインと現代アートの視点を交え展示しつつ『シュレーディンガーの猫という問題とその答え;』を並行して寄稿していました。
ここで「取引履歴の共有の次元」を「選択的決定の次元」に読み替えた(=取引履歴を共有するとつまり選択的決定が可能となるため)のもあとで非常に役に立ちます。
そんなこんなで、個人版ビットコインもどきの〈アート〉だったものはその質を変えていきまして、〈世界にひとつを個人でつくる〉の在処を徐々に指し示しはじめていたと思います。
🌱
ところがその時、地獄の窯の蓋がひらいた…!
👾🌱👾
そうなんです、パンデミックがおきたんです。
一時は外出もママならず、写真も撮れず、展示会も不可能。言いたいことも言えないこんな世の中じゃと絶望的状況でしたよね。東京オリンピック2020も延期していました。
そんな巷の写真は撮っておきまして、人が集まるはずもない中、「現代アート展」と題して『岐路の時代 TOKYO2016/TOKYO2020展』(6th.project/2021年)を開催し、顰蹙をかっていました。今見ると示唆的なんですけどね。
ですが縁は異なもの。ちょうど時同じくして、その「選択的決定の次元」を採用した試み、”生成AIの歴史”に記録されるかギリギリのラインをつくプロジェクトが公開されていまして、それが!
『遺伝的アルゴリズムで最高にエッチな画像を作ろう!』(群青ちきん,2021)でした。
これ簡単に説明すると、ランダムなモザイク画像から2択でエッチに感じられる画像を我々が選択し続けることでよりエッチな画像を生成する試みという企画。
まあツッコミどころは満載。今みたらその頃の画像生成のレベルがわかるというオマケつき。なのですが、僕はその試みに大変勇気づけられ、そのアルゴリズムを勝手知ったる〈世界にひとつを個人でつくる〉アルゴリズムに替えまして、ちょうど延期開催していた東京オリンピックの裏番組として公開したのです。それが!
『人為的アルゴリズムで最高に街な画像を作ろう!』(九条いつき,2021)でした。
「人為的アルゴリズム」などと偉そうに言っていますが、こっちで選択をするのはなにしろ僕個人なので難しい所はありません。賢さは必要なく、ただただ時間がかかるだけという原始的な代物です。
ですがここがミソで、僕個人の選択が100%反映される訳ではありません。
なぜなら〈世界にひとつ〉のステータスを備えるには〈取引履歴の共有〉の次元を備えねばならず、そのためにはトークン供給量の上限を設定する必要があります。それが選択の制限となるわけですね。
といってこの制限は制限ではなく、より洗練された状態へ進化していくための傾斜といっていいのではないでしょうか?
そしてもちろんそのためには特に初期エラーを許容しなければならず、さらにトークンセットを層にして重ねていくことで修正していくという設計に自然となります。
そこでその重層において影響の大小を設定する必要性にかられまして、それをopacityで表現し、全体をマージしていったわけですね(非常にわかりやすい説明)。
これはまるで油絵のようでして、諸般の予想に反し、原典と複製の関係性に拘泥した現代アート〈世界にひとつを個人でつくる〉は結果的にびっくりするほど”アート”だったのではないかと思います。
あとは細々としたことになりますが、個展としては『愁篇ノスタルジア展』(7th.project/2022年)をしました。
会場が『メテオロスケープ展』を開催したデザインフェスタギャラリーでして、『メテオ展』ではデザインと現代アートを混ぜてしまったという罪滅ぼしのためのリテイク。
…のつもりでしたが、これでもかと現代アートを推してやっぱり顰蹙を買うという罪を重ね、ついでに地獄同人誌『個性と創発』を売っていました。これがまた傑作なので見かけたら読んでみてください。
そして最後の企画は名前がついていないのですが、要は”公募展への参加”です(8th.project/2023年)。
今更なのですがようやく”真の仲間”集めが始まったなという感じになりまして、ご覧になったことがない方はいちど新美術館を覗いてみてください。サイズ感が全然違ってびっくりします。
という訳で、10年にわたった『プロジェクト・メテオロスケープ』の振り返りラジオは以上!
しかしまぁこういう事って始めるのは簡単ですが、終えるのが大変。特に最初から拗れに拗れた炎上プロジェクトなんかは特にね。
なのでそんな初期エラーを拒絶する世界観もあるでしょう。
ですが”創発”の世界観としては、そこを容認する訳です。成功と失敗を表裏一体とし、その傾斜が「未来はきっとより良くなる」という希望の元とします。
そんな概念が少なくとも僕には必要でしたし、アリとする方も多いのではないでしょうか?
そして今回エキストラの位置づけで始めた『夏への扉をさがして展』(9th.project/2025)。その元ネタである『夏への扉』をご覧になった方であれば、未来に行ったり過去にきたりするストーリーの中、最終的にはそんな「未来はきっとより良くなる」というメッセージにつながっていることにお気づきでしょう。
このエピローグはそのような位置付けで回想していただければ幸いです。
…ところで先日京都の丸善に行ったら神保町から古書店が出張出店していたのですが、そこで雑誌『InterCommunication』の「人工生命進化論特集」を見つけてなんとなく購入。
なんつっても1993年(平成5年)10月発行ですからね。ざっくり30年前です。
中身はタイトルどおり、いわゆるAIについてのエッセーがズラり並べてあるわけなんですが、全員未来人かという内容の目白押しで面白い。冒頭の写真までなぜか予言めいてるんですよ。
その中に画像生成の頁もありまして、まさに上記「人為的アルゴリズム」ほぼそのままの手法が載っているのを発見!
🤦♂️
しかしそうするとアレっスね。ドヤ顔で語っていた大枠の方法論的アイデアは30年前から既出だったと言っても過言ではないってことになりますよ。
本当に新規のアイデアだったのは、逆に適当に話していた0.1.がどこから出てくるか?という様な世界観の方だった。
そんなことに気づかされてしまいました。いや~もうちょっとで大恥かくところでしたよ🤥
PREVIOUS:Conceptual Works
