Photography



それは、世界にひとつを探す旅の風景

■ 写真芸術にも3通りある。- 写真と芸術



写真はアートか?

そのむかし写真科生だった頃こういう質問を浴びせられたのですが、あなたはどう思いますか?

今から思えば、これはかなり卑怯な問いですよ。先のエッセイで述べた通り、そもそも定義される先の”アート”自体が歴史的に様々な解釈を経てきている以上、一概には言えないからです。反対に”写真”の方をみても、腕時計のような工芸品に近い場合もあれば、洒落たデザイン素材という場合もあるし、最近話題の街の落書きみたいなものもある。だから写真はアートだ、もしくは写真はアートではないというと、必ずどこかから反例がでるという具合です。

答えは沈黙。

そこでここでは”アート”における不毛な主導権争いに参加することは止めにしまして、歴史的にいって写真芸術にはどういった作品があったかを羅列していきたいと思います。

そして結論をいってしまうと、”写真”も”アート”の歴史的な解釈変遷の影響を受けている、つまり写真芸術には3通りあるという他ないと思っています。

…それとも、果たして本当に3通りあると言えるのでしょうか?

0:科学技術としての写真

いや歴史的にいえば、写真は科学技術でしょう!という意見がまずあります。

1826年フランスでジョセフ・ニセフォール・ニエプスという人がアスファルトを金属板に塗布して自宅窓からみえる風景を撮影したのが初めての写真だとされています。

原型となったのは、美術の歴史にも関わってくる「カメラ・オブスキュラ」。その記述は写真の発明より300年ほど遡ってダ・ヴィンチの手稿にもでてくるそうです。「カメラ・オブスキュラ」とは、外光が入らない暗室の窓に小さな穴を開けると逆側の壁に上下逆さまになった外の像が映るという現象、そしてそれができるようにした暗室のことです。その像を定着したいとして発明されたのが、科学技術としての写真なんですね。

ですから写真を分解すると、外光を取り入れる「カメラ・オブスキュラ」つまりレンズ、そしてその像を定着する「金属板」つまりフィルム、この2つです。それって”写真”かな?と思いますが、元々は写真を観るということはフィルムを直接観ることでした。


ちなみにこの金属板は1回数時間かかる撮影で1枚しかできず、しかも繊細ですぐ壊れてしまいかねないものです。すると貴重品にあたる。

ここが重要で、後にこの技術を後継のダゲールという人が銀盤写真術として完成させ、ダゲレオタイプと命名しました(1839)が、できた銀盤をうやうやしく拝見するというのは変わりません。つまり写真とは確かに科学技術であったけれども、できたものは職人技術的な工芸品といえるものだったということです。

ところで写真の発明は、科学技術の発展においてしばしばおこるように、唯一人の発明家を起源とするものというよりは、地域を隔てて同時多発的に起こったことだといえるようです。

そのうちの一人、タルボットは同時期にイギリスにおいてカロタイプ写真術を発表します。発明時期はダゲールより先でしたが、その方法を隠匿していたため、写真の発明家という称号をダゲールにとられてしまったとされています。

そんなタルボットの写真術でしたが、定着できるのはなぜか明暗が逆になるネガティブ像でした。そういうところからも、写真の発明家という称号はダゲールが相応しいといわざるを得なかったのではないかと思います。

しかしそれでも研究を続けたタルボットは、後にそのネガティブ像を反転させてポジティブ像へ変換する方法を発見します。


そして今日から見れば、このネガ-ポジ法の発明こそが、レンズを通した撮像をフィルムを通過点として紙へと定着させる、あの”写真”の発明であり、複製像こそが”写真”であるというIDEAの創造であったといえるのではないでしょうか。

1:IDEAを求める写真

すると写真は銀盤を造る職人技術、手工芸品として始まり、そこから紙へ写しとったもの、複製像を”写真”であると規定していったと思われます。

タルボットのカロタイプはさらにネガティブ像を映す素材を廉価なガラスに換えた写真湿板(1851)、写真乾板(1871)へと発展します。コダックが写真乾板で創業して「You Press the Button. We Do the Rest.」と称するのが1888年だそうですから、ダゲレオタイプの発明からわずか50年で写真は工業製品になっていったということです。

その間に名を馳せたとされる写真技術職人には、例えばナダールという人がいます。気球に乗ってパリを空中撮影したり、地下墓地を人工照明で撮影といったような企画を連発しており、自らの腕を生かしたプロデューサーといった様子を今でも垣間見ることができます


そのような純粋な職人技術と冒険、そして造られるまだ貴重な写真を見れば、評論家ヴァルター・ベンヤミンが『写真小史』(1931)で示唆した「写真の最盛期は最初の20年であり、1850年代までが本物の写真である」とする考え方にも無理はないのかもしれません。

僕はここにひと通り目としての写真芸術、<IDEAを求める写真>があるように思えます。純粋な手工芸品こそが<普遍のIDEA芸術>であり、写真がそのよういられた期間は非常に短かったという考え方です。

とはいえ時代がくだり、写真が工業製品になっていったあとでも、個人の手を入れられる余地は多くあるといえる写真を手工芸品にしたいとする流れは今日においてすら途絶えておりません。その代表とも言えるのは、1932年から1935年にかけて活躍したアメリカのf/64グループの人達でしょう。

ちなみにf/64とはカメラの絞りのことを指しており、簡単にいうと数字が小さい方が明るくボケて大きいと隅々までよりシャープに写ります。通常の一眼レフで見かける絞りは大きくてだいたい22くらいですから、f/64は最もシャープに写すというような意味です。

後述しますが、このころ写真芸術としては絵画的なデザイン写真が流行していました。それに対するカウンターとしての批判がなされており、f/64に集まったメンバーにもそのような意図があったように思います。彼らは現実の複製像であることが”写真”のIDEA、アイデンティティであるとした同じくアメリカの写真家アルフレッド・スティーグリッツに影響を受けたとされています。


つまり”写真”とは、画家が筆を握るように写真家がカメラを握り、画家が絵を描くように写真家が撮影現像プリントを行うものである。f/64のメンバーであったアンセル・アダムスはそれをピアノの演奏に喩えたのですが、その信念とは、現実の複製像造りを持てる最高の技術でもって行う、それこそが写真芸術だということだといえます。

この観念は今でも、おおよそ全ての写真家の基本的な考え方にあてはまるように思います。1934年にはフジフイルムの前身である富士写真フイルムができているのもあって、そのような観念がメーカーやユーザー、西洋だけでなく全世界の共通認識になっていったのではないでしょうか。

そこでこの観念が写真における<普遍のIDEA芸術>、<IDEAを求める写真>である、そう規定しておきたいと思います。

2:デザインを問う写真

さて手工芸としてはごく初期の間に完成したかにみえる写真なのですが、進む工業化はむしろ写真家による”個性”の探究につながっていきます。それは<個性とデザイン芸術>としての”写真”の台頭と思えます。

そしてここでは<個性とデザイン芸術>としての写真には2通りあるとしたい。ひとつが絵画的なデザイン、もうひとつが写真的なそれです。


そのうちごく初期にあったのは、絵画的なデザインです。工業化が始まった写真、現実の複製像たる写真には、写真家の”個性”を加えて絵画のようにデザインすることでアウラを保つ。これをピクトリアリズムといって、現代のPhotoshopにもつながるような技法が1880年ごろから目立つようになったとされています。

この頃の作者は特に誰と取り上げられることが少なく僕もあまり知らないのですが、例えばエルンスト・シュナイダー。絵画的なポートレートが印象的で、調子を全体的にボカしてキラキラさせる、要するにインスタ映えです。ピクトリアリズムは今のインスタグラムより遥かに手間がかかって難しい手技が必要だったので、よっぽど職人技術による<普遍のIDEA芸術>的な写真のありかたではないのかとも思います。

しかし先述したように、これは現実の複製像である”写真”ではないと喝破されたことで写真芸術としては退潮していきます。といってもこういったデザインは広告写真などに脈々と受け継がれ、最新のデジタル技術によって再度大勢力を成すことになるのは御存じの通りです。

ところで<個性とデザイン芸術>としての写真にはもうひとつ、写真的なデザインがあります。そしてその代表者は、アンリ・カルティエ=ブレッソンであるとしたいと思います。つまり僕のいっている写真的なデザインとは、「決定的瞬間」のことです。

では「決定的瞬間」とはなにか?


これは写真が工業化していった時に何がおきたか、を考えると分かりやすいと思います。写真の工業化とは、コダックが宣伝していたとおり、プリントは専門の出力業者に任せるということがおきたということです。かのブレッソンも自身でプリントはあまりせず、信用のおける人間に任せていました。

では写真家はどこでその”個性”をだすのかといえば、もちろんフィルム造りで、です。無限に思える時間の中でどの瞬間を切り取るか、どの画を選ぶのか、その切り取り方にこそ”個性”がでる。それが写真的なデザインであり、その一点突破のために工業化の利点を最大限に活かします。選択と集中というわけです。

今でこそ「決定的瞬間」は言い尽くされた言葉のように思えますが、これが先の<IDEAを求める写真>とはまた別の”写真”であるというように根付いたのには、ライカのようなカメラが小型化、大衆化していったのと同時に、報道や写真雑誌の記者たちによる努力も多大にあったのではないでしょうか。

アメリカの写真雑誌『LIFE』の創刊が1936年、ロバート・キャパの有名な『崩れ落ちる兵士』がそこに転載されるのが1937年、1947年にはブレッソンが写真家集団「マグナム・フォト」を創設ということで、その間には世界大戦が挟まっていてルポルタージュが量産されていました。だから戦後出版されたブレッソンの『決定的瞬間』(1952)が説得力をもったというわけだと思います。


今では僕達がみる写真のほとんどが上記2通りの<個性とデザイン芸術>としての写真であって、”写真”とはデザイナーたる写真家の個性・センスをみるものという方が自然かもしれません。<デザインを問う写真>、それこそが今の主役といえると思います。

3:複製技術との邂逅としての写真

さて改めてリフレインすると、現代は<デザインを問う写真>が大半を占めているようにみえます。デジタル技術で逆襲する広告写真の絵画的なデザインと、老舗感を漂わせる報道写真の瞬間デザイン。

しかし先のエッセイでミュシャや歌麿を擁するとした<個性とデザイン芸術>を再度考え直すと、どちらかというと絵画的にデザインされた写真の方が理解しやすいのではないでしょうか。こちらは職人技術からの発展もあります。逆に瞬間デザインには疑問符がつきます。幸運だけではない職人技術が本当にあるのか?さまざまな選択も別人が行うこともあるのでは?そこに”個性”はあるのか?という。

これはなぜかというと、「決定的瞬間」の出所とは職人技術からというよりは、むしろ「写真とはなにか?」「現実の複製像である写真とはなにか?」という疑問からだから、なのではないかと思います。それは複製技術であることを改めて自覚した”写真”、”アート”と複製技術との邂逅である<動機と進化論芸術>につながるところから発生している。つまり「決定的瞬間」が成立する前に現代アートとしての”写真”、<複製技術との邂逅としての写真>の萌芽があったと思うのです。


その萌芽の一例が、1920年代当時現代アートとして絵画などで勢力があった「シュールレアリズム」、それを写真で表現しようとしたフォトグラムの作品です。フォトグラムとは印画紙の上に直接物を載せて映していくという、シュールという形容がほぼそのままあたる作品形式。その作者で有名なのがデュシャンと関わっていたマン・レイです。

そしてやはりデュシャンと親交のあったアルフレッド・スティーグリッツもその一例と考えられ、彼が創刊した雑誌『カメラ・ワーク』で1917年に紹介したポール・ストランドも「シュールレアリズム写真」とされています。

あるいは先述のベンヤミンによって再評価されたウジェーヌ・アジェ。このアジェという人は自身で撮影したパリ市街の風景を画家に素材として売っていた一職人だったのですが、この一種カタログ的な写真がシュールレアリズム的であると評価されました。

ところで、ここでいう「シュールレアリズム」とはなにを意味しているのでしょうか?ひとことでいうと、現実の被写体をその複製像である写真として提示しながら、その背後に透けて見えるより上位の現実(=シュールレアル)を表現する手法というような意味になります。

ここで先の「決定的瞬間」に戻ると、それは単に衝撃的な瞬間を切り取るというだけでなく、その背後に透けて見えるより上位の現実を見せるという「シュールレアリズム」の考え方が一部取り入れられているのではないかと思われるのです。


<複製技術との邂逅としての写真>の本流としてはその後、アジェがとったようなカタログ的手法を重視していきます。アウグスト・ザンダーによる戦前のドイツ国民を社会階層の別なくポートレートにしていった作品『Antilitz der Zeit(時代の顔)』(1929)、また戦後になりますが同じくドイツのベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻が工業建築物をタイポグラフィーとしてカタログにしていった作品などがあります。

+0:混乱する時代の複製像としての写真

以上で3通りあるとした写真芸術が全て出てきました。しかしこれまでの説明には、実はワザと目を逸らした部分があるようです。これらの説明には額面通り受け取ることができない問題点が多々あるように思われるのです。ここではそのうち3点を挙げておきます。

まず1点目。そもそも”アート”自体の問題として、長く根付いていた<個性とデザイン芸術>までの考え方と突然に発生した現代アート、<動機と進化論芸術>には溝があり誤解を招くことが多い、というのがあります。

先のエッセイで述べた通り、近代化による複製技術の普及がそれまでの<普遍のIDEA芸術>、アウラ芸術を押し除けていくという環境の中で、当事者としての芸術家がとる進化の道筋という所から現代アート、<動機と進化論芸術>は発生をしています。ですが観賞する側は依然IDEA・アウラ芸術の文化に慣れ親しんでいるため、そこの把握がしづらい。


それは当事者にも反響し、例えば上記の「シュールレアリズム」も今では現実に焦点をあてるというより、「上位の現実」とは夢のような像であるとしてそれを絵画的なデザインで表現をするということをいうようになっています。ですので過去の「シュールレアリズム写真」に対して、やけに現実的な写真じゃないか?という感想になります。

逆に「シュールレアリズム写真」を紹介し、現代アートに近い立場のスティーグリッツから影響を受けたはずのf/64。彼らは<複製技術との邂逅としての写真>というよりは純粋に職人的な作品づくりを推奨しているし、その発展形はむしろ絵画的なデザイン写真に近いということになります。

さらに2点目。写真は現実の複製像であるということにアイデンティティ、”写真”のIDEAをもつことになっため混乱を招きます。

絵画的なデザイン写真の方が職人技術からの発展があるため理解がしやすいはずが、それが見かけ上は否定されてしまう。逆に瞬間デザインは<動機と進化論芸術>の思想を根底においているということでないと成り立たず、それが絵画的なデザインに全て流れていった先には”総合演出”された報道写真が現実を曖昧にしていきます。「決定的瞬間」と目されていたキャパの『崩れ落ちる兵士』はやらせだったことが判明します。

またはカタログ的手法をとる<複製技術との邂逅としての写真>にしても、複製技術そのものである写真が複製技術との邂逅である現代アートになるのか、写真は”アート”か?というまた判りづらい立場に自らを追い込んでいきます。


事態はさらに悪いことに、ここに3点目となる政治の問題が絡んできます。<複製技術との邂逅としての写真>は社会主義との関わりが深かったとする論調があるからです。例えば上述したザンダーのポートレートが制作された背景には、平等な社会を実現しようというルソーからの社会主義思想がありました。

しかし近代の歴史が示すように、この左翼的かと思われる思想は発展して国家社会主義、民族主義、そして最終的には極右と目されるナチスを生んでいきます。するとザンダーの写真作品は事実ナチスから弾圧されます。とするならば、<複製技術との邂逅としての写真>は左翼で<デザインを問う写真>は右翼なのか、というかなりキナ臭い話になってきます。

というようなわけで、単純に「写真芸術には3通りある。」とする当初の思惑はその通りにはいかず、難点が多々あるということになりました。現代においてもこれらが”写真”というものを分かりづらくさせている原因たちのように思います。

そしてここに見られる混乱と歪みは、現実社会が見舞われたそれそのものだったのではないでしょうか。その複製像である写真がやや落ち着きを取り戻すことになるのは、現代アートたる<動機と進化論芸術>が徐々に認知されていく戦後、ポストモダンになるのだと思います。

そこでここからは、3通りあったはずの写真がポストモダン時代にはどうなっていくのかを見ていきたいと思います。

+1:ポストモダンとカラー写真

ポストモダンとはいつ頃を指すのか、どのように定義するのかは例によってブレるのですが、近代とは<個性とデザイン芸術>が支配した時代であるとすると、ポストモダンは複製技術との邂逅、<動機と進化論芸術>が徐々に一般化していった時代であるといえると思っています。

それは”個人”の尊厳が奪われる、非人道的な戦争が経験されたことと無縁とは思えません。たとえ優れた英雄が一人いたとしても、機銃掃射や原爆には勝てないであろうというような事態が現実におこったことで”個性”への幻想が消滅し、複製技術の脅威がようやく一般化された結果、現代アートに対する認知が得られたというようなことがあったのではないでしょうか。写真芸術もそれを反映していきます。

大きいのはカラー写真の普及だと思います。写真=レンズ+フィルムであり、この稿はフィルムの顛末に着目しているのですが、カラー写真がポストモダンであるというのは特に日本にとって顕著です。

戦前からフジフイルムの技術としてはあったのですが、それは軍事用品であって一般に出だしたのが戦後になってからだからです。1946年、フジカラーサービス(株)の前身である天然色写真(株)が設立され、1958年に一般用カラーネガフィルムが発売されます。1946年、東宝映画『11人の女学生』のタイトル部分に初めて使用され、1948年にブローニー判富士カラーフィルムが市販されます。(情報源としたフジフイルムコーポレートサイト閉鎖のため削除)一方コダックは1935年にコダクローム(カラースライド)、1942年にはカラーネガを市販しているので一歩先んじています。


ですからカラー写真は戦前からなくはなかった、とはいえ大戦時のルポルタージュはモノクロが大半だと思いますので、一般大衆にとって写真に色がつき始めたのはポストモダンに解放された戦後になってから、というようなイメージで大体あっているように思います。

そしてこのカラー写真普及の影響が大きいのは、”写真”とは現実の複製像であること、”写真”とは工業製品であることがより鮮明になったという点があります。モノクロ写真は現像もプリントも個人で手軽に行えるのに対して、カラー現像は劇物を取り扱う必要があって個人では扱いづらい。

するといよいよ手作業による職人的な<IDEAを求める写真>からは遠のいていき、全体が<デザインを問う写真><複製技術との邂逅としての写真>にシフトしていったのだと考えられます。

+2:絵画的なデザインに収斂していく写真

こういったことから戦後、ポストモダン時代における”写真”とは<デザインを問う写真><複製技術との邂逅としての写真>にシフトしていったと考えますが、再度リフレインするとその過半数は<デザインを問う写真>が占めているように思われます。


その絵画的なデザインのひとつに、芸術家がその表現のために素材として写真を使うという形式を数えたいと思います。工業化により安価でカラー写真を買えるがために可能となった形式。コラージュ作品もそこに分類します。

なかでも有名な作者はアンディ・ウォーホルである、とここでは言っておきたい。もっともウォーホルはシルクスクリーン、つまり版画なので写真とは異なるという意見があると思いますが、複製像を重ねていく作品形態は写真をベースに元画像が分からなくなるほど加工していった作品というような感触を抱くのです。ウォーホルは現代社会と結びつく複製技術をその作品に取り入れているところに特徴があります。

そして絵画的な方向性としてはもうひとつ、ピクトリアリズムからの流れを汲む広告写真を元にした「セットアップ」を数えたいと思います。例えばシンディ・シャーマンという写真家は今では当たり前となっているセルフィーの先駆けと目されているのですが、その画面造りは架空の映画の登場人物になったりドラマのワンシーンを模すというものです。それが写真芸術とされる。

するといっけん広告写真と「セットアップ」との違いはスポンサーがいるか否かだけの違いにも思えますが、よく考えればたいていの自然風景写真やポートレートはこの作り込まれた画面造り、「セットアップ」の系列とすることができます。それらを写真芸術としなければ、過半数を占める<デザインを問う写真>を無視することになります。


ところで、こういう”総合演出”には見覚えがありませんか?キャパの『崩れ落ちる兵士』ですよね。キャパのやらせはスキャンダルになりましたが、シンディの作品は初めからフィクションだと分かっているため問題にはなりません。

ポストモダン時代では「決定的瞬間」が抱えていた問題がこういった形、写真という媒体でありながらそれはフィクションであるという共通認識をもつ形をとることで解決されているといえるのではないでしょうか。絵画的と写真的の2通りがあるとした<デザインを問う写真>は絵画的なデザインに収斂していっている、僕にはそのように思えます。

しかしそうすると現実はどこへいってしまうのか?写真は現実の複製像であるということにアイデンティティ、”写真”のIDEAをもつのではなかったのか?そこでそんな現実が希薄になってしまった「決定的瞬間」の後継にくるのが、<複製技術との邂逅としての写真>、現代アート写真ということになるのだと思っています。

+3:現実を表現する方法を模索する写真

さて、<複製技術との邂逅としての写真>は先に述べた通り、カタログ的手法に見出されていきました。それはカタログ的な表現が被写体を写すことに観点を置き、恣意的な画面構成を行わないからであり、それがより強く現実を意識させるからではないかと思います。現代アート写真家は「決定的瞬間」を求めず、ただひたすら記録をとります。


それが、70-80年代アメリカで物議を醸す「ニューカラー」になるのだと思います。カラー写真を初めて写真芸術であるとして発表したとされています。今では不思議とも思わないかも知れませんが、カラー写真とはある意味で<普遍のIDEA芸術>を蔑ろにするポストモダンと密接に結びついていることに留意すると、その衝撃が想像できます。…こんな写真が芸術?という現代アートでよく見る光景です。

その代表者がウィリアム・エグルストン。普通の生活を普通のカメラでただ普通に撮っていくことで一種のカタログ的表現にし、「上位の現実」、撮影当時の南部アメリカの生活、文化あるいはその時代の表象を作品の中にとじこめる。

それが写真芸術として発表されているところに拒否感を抱く人も多いかも知れませんが、僕には「シュールレアリズム」を旨とする<複製技術との邂逅としての写真>としてはこれ以上ない程ストレートな制作手法をとっているように思えます。アジェの制作手法を今度は意図的に行なっているんですね。

それを認めるか認めないかはあなた次第です、ということなのですが、留意していただきたいのはそこに政治的な軋轢はあまり感じられないところだと思います。むしろアメリカンカルチャー賞揚の気味もある。レッドパージの影響を受けたというような話は聞いたことがありません。

ところで、このようにストレートな制作手法が公開された場合、後の人は”個性”を際だたせるためその作品に必ずヒネリを入れないといけなくなります。例えばトーマス・ルフは一言でいうなら、ありとあらゆる撮影方法を駆使したスタイルですよね。東京で展示会をやっていたので見に行きました。


面白いのは、ここまでくるとデジタルフォトが作品に登場することです。それに伴って、複製技術と不可分になっている現代を表現するのに写真をその手段として使う、ということがおきています。ウォーホルを思い出しますね。そして以前あった、複製技術そのものである写真が現代アートになるのか?という疑問とはまさに逆回転になっています。

以上まとめると、ポストモダンの<複製技術との邂逅としての写真>とは、様々な手法を駆使して「現実」を写そうとするものである、そのように結論したいと思います。日本ではまだほとんど認知されていないところがたまにキズですが、現実の複製像こそ”写真”だと考える写真家は自ずからこの制作手法に至らざるを得ないのではないでしょうか。

写真芸術にも3通りあるか?

ということで、当初3通りあるとした写真芸術は混乱と歪みに満ちていたのですが、ポストモダンに時代が遷り、それが緩和されていくという様子をみてきました。

しかし改めて上に挙げたポストモダン作品を観てみると、デザイン側に挙げたものを含め、それらがそれぞれの時代の表象ということもできることが分かります。なぜなら時代の表象とは、エグルストンが実践してみせたように、デザインしきれていない、意図されない所にでるからです。

すると「上位の現実」、時代を表現するのが<複製技術との邂逅としての写真>であり、現代アート写真と呼ぶべきものであることを考えると、全ての写真が現代アート写真に値するか否かを決定するのは鑑賞者の態度に還っていくともいえます。

とするならば、果たして本当に写真芸術は3通りあるといえるのか?

それもまた鑑賞者側の判断に委ねられるということになり、現実の複製像である”写真”とは、”アート”の中でもやはり特殊な立ち位置を占めているといえるのではないかと思います。

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