原典と複製 – Description

原典と複製 – Description

当プロジェクトの代表作となるコンセプチュアルアート作品

■ 附記




4. そして四つ目の”誤解” 「地獄」

エピローグ: アートと譲渡と、時々、写真

…というわけで、5年前に提出した「世界にひとつを個人でつくる」という概念にまつわる様々な誤解と混乱を見てきました。もしかすると、行き違いは他にも沢山あるのかも知れません。

しかしここまでくれば「ビットコインやNFTに価値はない」という言説がいかに傲慢で視野狭窄か、ご納得いただけたのではないでしょうか?そもそも、ひとの思い入れにそんなの価値ないよとケチをつけるなんていう行為は、始めから慎むべきですよ。僕も他人のことをあまり言えませんが。夫の趣味のプラモデルを邪険に思った妻が、夫が仕事に行っている間に無断で棄てたりしたら、まさに離婚の危機ですよ。

もちろんその思い入れ対象が、犯罪や今話題のカルト活動であって、関与する当人たちの人生を破壊するようなモノであれば話は別ですよ?そんなの価値ないよと僕も言いたくなる。

ただこの「世界にひとつを個人でつくる」というモデルは犯罪どころか、この先も「世界にひとつを王が決める」というモデルが安定稼働するために必要不可欠な概念であり、そしてそれは例の ” 地獄 ” を地上に現出させないためにも必要な存在である、そう僕は思います。だってそうじゃないですか?

既に指摘したように「個人でつくる」モデルが存在しなければ、人はその自由と独立を手放さざるを得ず、個人の存立すら危ぶまれる、それがディストピア未来だと言いましたが、僕にはそれがまさに現在進行形で起きている事態のように思えるのです。例えば Me,too や BLM といったカウンターが活発になったのはビットコインが登場してからというのは、はたして偶然でしょうか…?

それにこれは誰かの指図で存在している訳ではなく、そこに価値を感じる参加者が自主的に行っていることです。NFTで譲渡された作品の最高額は75億円(※6)でけしからんというか知れませんが、例えばあるひとつの作品を維持する個人ひとりを支持するためには、一年300万としても一〇年維持で3000万はかかるものであり、そんなパトロンを騙されてやっているということがあるでしょうか…?

加えて今は無価値に思えるアイコンひとつでも、一〇〇年もすれば時代を表現するモノになるかも知れません。もちろんそんなことはなくてただの失敗になるかも知れない。しかしそれが「IDEA」という ” 正解 ” を追い求めず、むしろその周辺の ” 不正解 ” 領域を逍遥する現代アートなのではないでしょうか…?

だから未熟な部分、例えばビットコインは維持のために莫大な電力が必要になっているであるとか、NFTが盗品に希少性を付与している場合があったとして、僕としてはまだもうちょっとその辺りに価値を感じてもらいたい。特に、価値ない宣言をしだした例のパソコン富豪おじさんは問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。自由や独立を手放すことを是とする前に、人に機会を与えるのが筋ってものじゃないのかと。

…そしてこんなパンデミックや戦争がおきている世の中だからこそ、「世界にひとつを個人でつくる」ということに、もっと価値を感じてもらいたいと思っています。


これで『原典と複製』から始まった大いなる誤解と混乱の話はおしまいです。くぅ疲れました。願わくば「世界にひとつを個人でつくる」という概念が、これからも人口に膾炙しますように。

それと最後にもうひとつだけ。僕が制作している写真作品について、上に付随した誤解を解いておきたいことがあります。

プロジェクトサイトをご覧になると、僕がそれらを「IDEA」的な ” 正解 ” に近いデザインアート Graphic Work と、” 不正解 ” の現代アート Photographic Work とに分けていることにお気づきだと思います。もし譲渡するということを考えた時、おそらく抵抗感が少ないのは Graphic Work に違いありません。それに対していわゆる現実が写っていてそこに相当の思い入れがなければ譲渡されることはないだろうというのが Photographic Work という訳です。

その違いとは、これもまた誤解を大いに招いた喩え話になってしまったようですが、『インテリアアート導入プログラム』(※7)でいう傷の見えない縮小画像と、それが明らかになってしまう大きなサイズの「原典」との違いと同じだと思っています。ですが、だからと言って Graphic Work の方を化粧済みで複製可能と否定していたり、Photographic Work の方を修正を一切していないから逆に ” 正解 ” だとしている訳ではありません。

ついでにいうと写真として被写体を消去する修正はなるべくしないようにしているものの、どうしても必要な場合は、どちらにせよ修正していることがありますし、ノイズだらけの昔の写真をAIによる補完によってなんとか見れる物に修正していることがあったりします。その不愉快な ” 現実 ” を知りたい方にはお伝えします…。

まあ確かに、今後人が抱く思い入れの強さはデザインアートよりも現代アートの方がきっと勝るに違いないと思われます。どれだけの人が量産される絵にいつまでも思い入れを保てるでしょうか?

しかし『写真芸術にも3通りある。』(※8)でも述べたように、現代においてデザインアートと現代アートとは、あくまで制作者が提出した仮のカテゴリでしかありません。それがどちらに属するかの判断は制作者ではなく、あくまで譲受者に委ねられている。

というのも、断言しますが「IDEA」完全なデザインも、本当に「IDEA」から逃れらている現代アートもあり得ないからです。だからこれからどれだけAIが進化しようと、量子コンピュータが開発されようと、人の代わりに働けるロボットが生まれようと、「世界にひとつを個人でつくる」という概念があれば、しばらくの間ヒトはディストピアに陥らず、今とさほど変わらず過ごせるはずである。

いやなぜそんなことをハッキリいえるのかって?そんなことは簡単ですよ。それはもちろん…


——— “No Man is Perfect.” だから、なのです。

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