当プロジェクトの代表作となるコンセプチュアルアート作品
■ 附記
『夏への扉をさがして展』疑似ラジオより抜粋…
📻今回の展示会なんですが、なんとこれをもって2014年から始めたプロジェクト、『プロジェクト・メテオロスケープ』終結ということにしておりまして、ひとつの区切りを迎えます。ですが会期末まではまだ3週間弱ありますのでそれまでの間こちらX(旧ツイッター)でこのプロジェクトを振り返り、ラジオ的な雑談をちょっとずつしていきたいと思います。
まずプロジェクトの名前ね、『Meteoroscape』です。ギリシャ語の「meteoros」と英語の「scape」を合体させた造語で辞書を探してもそんな単語はないはずです。
だからといって全て「欧米か」というとそうでもなくて、俳人でもあった寺田寅彦の『天文と俳句』という著作から「天と地との間に於けるあらゆる現象」である「メテオロス」という単語をひいてきています。
その『プロジェクト・メテオロスケープ』を始めたのが遡ること2014年、その頃はまだ個人ブログが市民権を得ていましてそこで公開することから始めました。
といって厳密にその年始まりなのか?というとアイデア自体はもうちょっと前から思いついていまして一応meteoroscape.comというドメインをとった時をひとつの「区切り」としています。
さて、そのアイデアというのが〈世界にひとつを個人でつくる〉という概念。そしてそれをひとつのアート作品として発表することだったわけです。
今ある全部をはじめから思いついていたわけではありませんが、当初から『meteoroscape』は「天と地との間に於けるあらゆる現象」を写真に撮って世界にひとつをつくること…を意図していません。「天と地との間に於けるあらゆる現象」を〈撮影する写真〉と「天と地との間に於けるあらゆる現象」から〈世界にひとつを個人でつくるアート〉はそれぞれ全く別のレイヤー、〈次元〉の話です。〈世界にひとつ〉と〈その価値〉も別の〈次元〉。
作っている方としてはそんなことは自明なのですが、それぞれのレイヤーごとにあまりにも多くの思惑が絡んでいるのでそれを解きほぐしていくのが難しい。全部並行して一緒にやっていかないといけませんでした。
まあとはいえ順番というものがあります。なのでまず「写真の撮り方」から話を始めました。
そもそも他人に「写真の撮り方」をレクチャーできるような身分ではないのですが、だからといってハナから
「スゥ…世界にひとつとはなにかァ…」
とか言っても頭おかしい人になって誰も聞かないですからね、話。そこは方便で人を呼び込まないといけません。言ってみれば”釣り”です🎣
というわけで〈世界にひとつを個人でつくる〉という概念、そしてそのアートの方便として始めた「写真の撮り方」でしたが、そこで写真を人・物・風景に分けたのは柄にもなくファインプレーでした。
なぜなら写真をその役割から分離して〈意識〉に集中できますし、その分け方がそのまま生物・無生物・その両方という分け方になり伏線が効いています。
後半の【個性と創発】パートにかけてはまさにその生物と無生物の間、そして〈意識〉について考察を深めていく展開になります。
と言って、始めに考えていたのは〈世界にひとつ〉を作るところまで。つまり前半の【原典と複製】パートまででしたから、そこまで真剣ではありません。うまいこと「インテリアアート導入プログラム」に話を持っていって〈世界にひとつを個人でつくる〉にまとめるという算段です。
「インテリアアート導入プログラム」というのは我ながら酷いネーミングセンスでしたが、そこで架空のインテリアショップを舞台に〈世界にひとつ〉の仕様を公開、後の段で理論的な補完をするという辺りまで予定していました。
それで写真の話から「インテリアアート」につなげるため、少し唐突ですがインテリアデザイナーの方との対談を挿入することにしたんですよ。
それがhaloctさんとの対談だった訳ですね。疑われている方もいるかも知れないのですが、これはちゃんと呼んできて話をしてもらっています。
というか始めは専門家のレファレンスを挿話として入れる程度に考えていたんです。そうしたらこちらも仕事振り素人ならあちらも仕事応え素人だったので全然まとまりませんでした…。
それでどうしたらいいか考えた結果があのインタビュー形式になったわけです。これはその頃よく見ていた『オモコロ』とか『デイリーポータルZ』の記事を参考にしています。そこはLINEあたりを参考にしているかも知れませんが…。
まぁもしかしたらですが、それでChatGPTの UIがアレになったかも知れませんよ。なんでって対話のUIって結構珍しいですもんね。上に重ねていくかツリー状に下に伸ばしていくという掲示板タイプのUIの方が一般的じゃないですか。
なんにせよ対話は少しずつ話していけますので混乱しづらいという利点がありますよね。
僕なんかもいきなり自己紹介を3分喋ってくださいとか言われても困ります。それがなぜか対話だったらなんとか応答できます。そこが〈意識〉の面白い所だと思いますよ。
ということで、プロジェクトの振り返りはいよいよ〈世界にひとつ〉についてになるのですが、それは今話してもバイアスかかりますので原典にあたっていただければと思います。が、そんな物は見たことないし見る気もないという人には若干盛って話すと…
水面下では無限の複製が生じている状態を想定した場合に、どのような条件が揃えばソレが〈世界にひとつ〉という値を示すかについて考える、ということです。
例えばデジタル写真はパソコンの容量が許す限り無限に複製できますよね?そこにどんな条件が具われば、それを〈世界にひとつ〉の原典として特定できるでしょうか?
さらに盛っていただくと、無限の複製はいわば実態のない”波”の状態ですよね、それをどうすれば〈世界にひとつ〉のバリューを備えた”粒”の状態へ変換できるでしょうか?
ひとつの解答としては「複製する悪人を取り締まる」ですよね。現に僕たちはそのような世界で生きています。ですがそれは複製が比較的少ない場合だからできることであって、「無限」を相手にしたらそれは無理ですよ。
なのでどうするか?というと、もう取り締まらない。けれどもただ放っておくわけではありません。その代わりに「捏造はできない」という条件を付与します。
複製は無限にできるのに捏造はできないってなんのこっちゃと思うかも知れませんが、ソレがまさにBTC(=ビットコイン)の仕組みという訳なのです。
この説明に、複製は無限にできるけれども捏造はできない?それがビットコインってなんのことなの?どんだけー?!となった貴方は、ビットコインは暗号通貨という話を聞いて「きっと途方もなく難しい暗号でお金を守ってるのね」と思っていたのではないでしょうか?僕はそう思っていました。
ですがご存じのとおりビットコインとは「中央銀行や単一の管理者を持たない分散型のデジタル通貨」であって、暗号で銀行のお金を守っているわけではありません。
ビットコインがしていることとは、取引履歴を記録し共有すること(=ブロックチェーン)。それによって捏造ができない取引の場を作っています。言うなればビットコインという仕組み自体が暗号な訳です。
そのため、BTC自体から暖簾分けしたBCHや、BTCを複製したオルトコインが街中で競い合っているけれどもだからといってそこでBTCの取引を捏造することはできない。そういうことだと思いますよ?
というわけで水面下の無限の複製状態から収斂した〈世界にひとつ〉へ変換するには「取引履歴を共有する場」〈=次元〉が必要ということでした。
ですがビットコインがしていることはそれだけではありません。ビットコインのコミュニティへ参加する人にその貢献度合いに合わせて重みづけをしていますよね?
例えばビットコインのためにわざわざパソコンを動かしてマイニング(採掘)する人には無料でビットコインを配ったり、お手軽参加方法として現金でビットコインを購入する人のためには取引所を作ってみたり。
放っておいたら永遠に静止した状態になりかねない所、そういった傾斜をつけることでようやく全体が動き出すということがあります。
僕が件の「インテリアアート導入プログラム」で個人版ビットコインもどきを考案した際にも、その辺りかなり参考にさせていただいております。
なんだろう…まったく誰だか知りませんが、ありがとうサトシ・ナカモト!
芸術と写真の附記につづく
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