隠遁者は思う – Description

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ブラウンを基調とした「和を思案する」風景

■ 附記



前回の清水寺に続き、岩清水周辺。清水つながりである。その石清水八幡宮で思い出されるのが、徒然草第52段、仁和寺にある法師の話だ。

昔々、仁和寺で働いていたとある法師が、あるとき石清水八幡宮にはじめて参拝しにいった。そこで極楽寺や高良でお参りをして帰り、同輩にこう言った。”行こうと思っていたところにやっといけました。すごくいいところですね。でもみんな山を登っていたのは何かあったのでしょうか?気になりましたが、参拝が目的だったので山までは見ませんでした。” ちょっとしたことにもガイドがあって欲しいものだ、という話である。


抑えておきたいのは、ここで出てくる仁和寺と石清水八幡宮、淀川を渡らないと行けないのだが距離としてはそんなに離れていない。そのうち行きたいが、再度行くのは面倒だという距離感という点。それから岩清水八幡に“極楽寺”はないという点。加えて出てくる”山”である。参拝客がこぞって山に登って何をしていたのかが書かれていない点の3点だ。

もし話を文字通りに受け取って、ガイドがいれば見そびれた観光名所を物見遊山できたというだけの話なのであれば、仁和寺の法師はそのような俗世間には興味がないのだという、宗教者としては至極最もな話で完結するはずなのである。


彼のような人は、例えガイドがいたとしても観光名所などスルーしたに違いないのだ。作者も法師である以上、そこにケチをつける訳がない。それに寺の有無を取りちがえることもなさそうに思える。

つまりこれは、この話全体がいわばたとえ話だということなのではないだろうか?

そこで実際に行ってみると、本殿を超えた先には展望台があり、そこから見える風景、それでこのたとえ話の意味がわかり、なぜこの話の主人公が“仁和”寺の法師だったのか?それが分かるようになっているのである。

あとの謎解きは読者にお任せしよう。

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■ 識別情報


Series隠遁者は思う
Photographer九条いつき
Captured Date2017.3.20
Location石清水八幡宮周辺
Titles隠遁者は思う_01
Reproduction Limit3
ID Historyomou, omou_re,
Notice

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