Life



それは、世界にひとつを探す旅の風景

■ シュレーディンガーの猫という問題とその答え;



さて展示会も今回の『シュレーディンガーのパラソル展』で4回目になります。でもね、こういう”クリエイティブ”ってやりたがる人もいますけど、いうほど簡単じゃないんですよ。本当に今までにない目新しいことをやっていると反感をもたれる。これは確定事項です。

要するに面倒臭いんですよ。”クリエイティブ”って。好き好んでやる人はいないと思います。かくいう僕もたまたまそのような羽目になっているのでやってるだけです。

それでいまだにやっていると「詐欺じゃないの」みたいに言ってくる人がいるので残念に思うのですが、ただ言われているだけでは腹がたつので僕も反論したい。ここではそのついでに『シュレーディンガーの猫』という思考実験で提起された問題を解決に導きたいと思います。

目次

  1. 形而上と物理上
  2. 物理上に量子コンピュータができている現代
  3. “重ね合わせ”とは?
  4. シュレーディンガーの猫は”重ね合わせ”になるか?

1.形而上と物理上

僕が思うに、共通する問題をひとことで言うと「形而上と物理上の違いは看過されがちである」ということだと思います。

「形而上」は今回の展示会でも特に推している言葉です。ですが、それがなにか詐欺みたいに思えるっぽいです。そこで補足しておきたいのは、この「形而上」に照応するのが「物理上」ですということ。

まず物理についていうと、次元というのがありますよね?タテ×ヨコ×高さで3次元、時間を合わせると宇宙は4次元やで、みたいな。これが実は方便なのはご存知でしょうか。

この考え方はニュートンが支配する古典物理の世界になります。

それをアインシュタインが相対性理論で覆してからもう100年経っています。どう覆したかというと、光速度だけが普遍で時間と空間は相対的に変わるぞという、宇宙関係の話でよくでてくるアレです。

それを元にブラックホールを予言してそれが実際に観測される。ドーナツの穴みたいやな、みたいなことが現実に起こっているのが今ですよね。

これはつまり、光速度を物差しとして時間も空間も同じ平面上として考えることができるんやで、ということですよね。タテ×ヨコ×高さに時間も全部ひっくるめてE=mc∧2の平面上で考えることができるで、一緒やで、ということ。神様からみたらそういう平面上の宇宙に僕たちは住んでいて、それが「物理上」ということです。


それに対して、全く次元を別にして「物理上」には存在しないのが「形而上」です。

この「形而上」とはなにか?

形而上学(けいじじょうがく、希: μεταφυσικά、拉: Metaphysica、英: Metaphysics、仏: métaphysique、独: Metaphysik)は、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である

– wikipedia “形而上学”より

という事で、概念や論理で構成されている次元であって確かな物理ではない。円周率は無限に定まらないけれども円は描けるし、真球は地面に接触しないけれどもサッカーボールは急に転がってきます。なので机上の空論とされることがあります。

ですが先ほどもいった通り、「形而上」の論理は「物理上」の実際と鏡のように照応するんですね。

たとえば科学はいうなれば「物理上」の世界を観察して「形而上」の法則を探る学問です。見つけたその法則を物理上で再現して色々物を作ったりするのが技術。

物理平面に住む僕たちは、鏡に映る形而上面の像を観測したり、それを使って日々の生活に役立てている。そういうことがあります。


ではこの「形而上」の論理を操作するとどうなるでしょうか?

例えば政治的な決まりごとがそれに当たります。消費税を10月から10%にするで、と安倍さんが決めてそのように法律に書かれる、すると実際に僕たちの生活が消費税10%の社会になります。法律という「形而上」の論理を「物理上」の生活にある程度の強制力をもって照応させているからです。

「形而上」と「物理上」はそのような関係にあります。

したがって例えば「形而上、複製不可能」を作りたい場合は、複製不可能であることを示す論理がなにより重要です。

それが可能であれば、様々な問題があっても、「物理上」にある程度照応することができます。実際に実現し、日常生活に役立つということなのです。

2.物理上に量子コンピュータができている現代

続いて表題の『シュレーディンガーの猫』について。

これは物理学者のシュレーディンガーさんが考えた思考実験、つまり「形而上」の話です。厨二病アニメに結構でてくるので僕みたいなバカな男子はよく知っているけれども、知らない人は聞いた事もないかも知れません。


詳しくはググって頂ければと思いますが、要するにシュレーディンガーさんが言いたかったのは

「いや、ネコ死んでると生きてるで “重ね合わせ” な訳ないやろ」

というツッコミですよね。

いくら量子の挙動が確率的にしか分からないからといっても、ネコがどちらでもある”重ね合わせ”状態ってなんやねん。オフホワイトかい、という。

しかもそんな事を言ってモメていたら、量子コンピューターの方が先に物理上にできている。現代の物理科学凄すぎないですか?

3.”重ね合わせ”とは?

〜前回のあらすじ〜
電子の挙動が太陽の周りを廻る惑星のような軌道計算では求められず、確率分布するとした”波動方程式”を手に入れた天才シュレーディンガー。

しかしそこへ現れた賢者の孫「それって同時にどこにでもあり得る、”重ね合わせ”って意味だよな?」の発言で事態は急変!箱に閉じ込められた仲間のネコが生死の境をさまようオフホワイトになってしまったのだ!

ネコを助けるか、波動方程式を捨てるかの二択を迫られ窮地に立たされるシュレーディンガー!


そこへ仮面の騎士エベレットが登場。ネコが生きている世界線と死んでいる世界線に分かれるとするバラ色の多世界解釈を投げ入れたことで遠巻きに見ていた中二病患者が多数狂喜して参戦、舞台は大混乱に!

だがその時、暗転した舞台に科学武装集団グーグル先生ほか一味がスポットライトで照らされながら”重ね合わせ”を実用化した量子コンピュータ?と共にせり上がってきたのである。←絶対強い

ーーー

過去改変定期ということで。

簡単にいうと、シュレーディンガーとしては「形而上」生きていると死んでいるで”重ね合わせ”になるわけないやろと言いたいところ、「物理上」“重ね合わせ”が実用化されてしまってなんやねん?ほならワイのネコはオフホワイトかい?という状態になっているという話でした。

それで改めて”重ね合わせ”について考えてみたいのですが、それがきれいに視覚化されているのが今回展示作品で引用させていただいた浜松ホトニクスの『単一フォトンによるヤングの干渉実験』(1982)。粒子の状態であるはずの光子が波の性質である干渉縞をつくるというアレです。デジカメの使い方が悪いのか僕の写真も干渉縞がよく出てしまいます。

これはなんでかな?と思うのですが。


ここで時間も空間も同じ平面上として考えることができるんやで、という上述アインシュタインのE=mc∧2物理平面の話を思い起こすと、それと同様、本質的には同じ物なのに僕たちが先入観で見方を変えているだけなのではという風なアイデアが浮かびます。

粒子も波も実は同じ物理現象であって、それが違っているように思っているのは僕たちだけである。

例えば、”重ね合わせ”の状態は「失敗」と「成功」みたいなものだと言えるのではないでしょうか。それぞれの状態が全く異なるように見えるため「失敗」「成功」は分けて考えますが、その本質は実際に起きていることだけです。真実はいつもひとつ、人間万事塞翁が馬。

成功しているように見えてその実、後から考えるとそれが失敗の元であったり、失敗したと思ったらそれが案外、成功につながったりします。禍福は糾える縄の如し。宇宙ひも理論です。

4.シュレーディンガーの猫は”重ね合わせ”になるか?

〜前回のあらすじ〜
科学武装集団グーグル先生ほか一味によって既に実用化されていると噂される量子”重ね合わせ”。いつきはそれが本質的に同じでも見え方が違っているだけなのでは?と推測し、その状態の一例を「失敗と成功」であるとしたのだった…。


ということでこの推測は言いがかりのような物かも知れませんが、仮にそういうことだとして話を進めたいと思います。なぜなら一番の疑問は箱に閉じ込められたネコの生死にあるからです。

結論を先に言ってしまうと、それは”重ね合わせ”にはならないのじゃないかと思っています。

例えば「失敗と成功」を題材に今回の展示会で考えるとどうでしょう。

僕の予想では、
可能性1.誰も来ないし売れもしない
可能性2.作品が一点くらい売れて嬉しい
可能性3.店長が無実の罪で逮捕され作品も全て押収されてしまう

のどれかだと思っています。とすると、失敗と成功は

【失敗】誰も来ないし売れもしない
【成功】作品が1点くらい売れて嬉しい

このように定義できます。二進法のコンピュータでいうと0か1。

ですが実際は結果がもっとグラデーションになるだろうということがあります。人が結構きてくれたけど売れてないわとか、売れたけどそれは反社会勢力の人だったことが分かって怒られるとか。そのグラデーション具合を計算にいれてしまえるのが量子コンピューターだとか。


ただ、この「失敗と成功」のレイヤーは展示会が無事執り行われているという観点からいうと同じです。”重ね合わせ”なのでどちらの状態でも実はそれほど問題ではありません。僕が一喜一憂するくらいで、たとえ「失敗」してもまた反省して次につなげればいいのです。

それに対して

可能性3.店長が無実の罪で逮捕され作品も全て押収されてしまう

こうなると、ただ「失敗と成功」の「失敗」というだけでなくなってきます。周囲の人にも迷惑をかけてしまいますし、プロジェクトの継続にも疑義が生じてしまう。

つまりこれはただ「成功/失敗」というよりは、展示会の「生/死」につながるレイヤーの問題です。「生/死」は「成功/失敗」との照応関係はあるけれども、実際はそのレイヤーとは次元が異なる。

このような状態は、始めに触れた「形而上」と「物理上」の関係と相似しています。

さらにこれをもう少し観察していうと、この「生/死」を決める次元では「選択的な決定」が形而上面でいう論理と同じ役割を果たしているのでは?と思えます。

「決定」といっても、「選択的な決定」をするのは誰でもありません。例えば第三者である警察かも知れませんし、周囲の人かも知れませんし、あるいは僕いつきかも知れません。僕は生きることを選択しても第三者が死を選びそれが優勢になって物理上に死として照応するかも知れませんし、逆に第三者が死を選んでも僕の生きるという選択が優勢になり物理上に生として照応するかも知れません。


そのような「選択的な決定」の次元が物理平面と照応し、交差するようにあると仮定する。

すると件の思考実験で箱に投入されたラジウムの”重ね合わせ”状態と、ネコの生死は次元が異なる問題となります。ミクロとマクロは異なる結果となり、形而上の思考実験は物理上になんら照応はされず、ネコは無事オフホワイトにならなくて済みます。

それは僕たちが生死すら不明瞭なバーチャル存在ではなく、生きている間ずっと自身の力で「生きる」という意志を持ちまたは何者かに「生かされている」存在であるという世界なのです。

…というのが僕の仮説です(形而上)。

ただ量子からマクロに移項する際に働く謎の力はすでに物理で観測されていて、いわゆる”対称性のやぶれ”であるとされております。おそらく生命の起源はそこにあるのだろうと予想できます。

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ということで、この章はツイッターをまとめた内容となっております。

展示会をご覧になった方は妙な作品が展示してあって、ツイッターでも急に変なことを言い出したと思われたかもしれませんが、実はベースに「個性と創発」というテーマがあったのです。その辺りを少し解説で触れておきたいと思います。

ちなみに生命の起源と”対称性のやぶれ”との関連については実際に研究が進んでいるとのニュースがあったようです。その先にはミクロとマクロの物理学を合体させる大統一理論が控えているのだろうと思ってみています。

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