炎上


無色を基調とした「炎上するデザイン」の風景

こちら舞台は北海道の大雪山。読みはダイセツザンと思っていたら「タ」イセツザンだそうです。
でも当の山は大切大切といって守られるような、か弱い存在ではない気がする。

 

さて、この『炎上』ですが、同時リリースの『進捗アリ』がクセのない作品だとすると、
クセがすごい作品になっています。

なにしろ炎上ですからね。

先日「シュレーディンガーのパラソル展」をやって気づいたのですが、
事後的に手を加えて普通の写真に新しい意味を乗せていくのもひとつの制作手段ですよね。

写真はあくまでひとつの表現手段であるとする作家は
コラージュで切ったり貼ったりすることもありますし、よく考えたら当たり前なんですが。

 

で何がクセが強いのかというと、3パターン用意してあるそれぞれの写真は
時間の経過かと思いきや、実は同じ時刻の写真である点です。

つまりフォトショップでデザインしてあるだけで3枚とも元は全く同じ、
夕焼けに見えるのはフェイクということです。

その心は、「炎上するデザイン」を表現すること。

 

写真のレイヤーだけでいうと、山岳写真は「デザイン」が入る余地のなさそうな業界です。
山の神様を撮る、自然を撮るのが山岳写真の基本ですから、人の手でデザインするのは基本が違う。
職人のように何百回と同じ山に登り、偶然おこった自然の光景を真実どおり写し撮る。
それが山岳写真”道”であり、それはデジタルカメラで撮影しても、
フォトショップがお手軽に使えても変わらない。

そしてそういった態度は、一般の写真作品制作においても一種の規範として働きます。
「フォトショップしすぎの写真は不自然」とか「HDRはやりすぎ」とかいう感覚ですね。

実際、広告は綺麗でも行ったらガッカリするのはやめてほしいし、
無いものをあるように見せるのは止めていただきたいということがあります。

 

その一方で、あらゆる「デザイン」(それは遺伝子にも及びます)が
技術的に容易で当たり前の存在となってきている昨今、どこまでそれを抑制するのか?という疑問が湧きます。

なにを選びなにを選ばないか、そしてその選択そのものが問題となりせめぎ合い炎上する。
そういったことがあります。

この作品はそれを表現しているのです。

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作品名: DETAIL:
炎上_01-1−03-3 enjoe_01-1-03-3
シリーズ:炎上
撮影地:大雪山周辺
撮影日:2019.9.20
撮影者:九条いつき
COLOR:NONE
ORIGIN:?x?pix
ISO:-
ID:enjoe,

 

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