Calling Action



それは「世界にひとつ」を探す旅 ———

■ 「世界にひとつ」を「個人でつくる」。


前章の『原典と複製』はお楽しみいただけましたでしょうか?

というわけでここでは次のステップとして、たとえばファンドレイジングを提案しています。なぜなら「世界にひとつ」には目処がたったようですが、「個人でつくる」にはもう少し補足すべき要素も必要なように思えるからです。

この「世界にひとつ」とは、『インテリアアート導入プログラム』の章で述べた【オリジナル】のことです。

無限に複製されうる他の存在と一線を画すためのもの。いわば閾値であり、設けられたハードルであり、他とは違うことを明確にするひとつの要素のことです。

ですがその閾値だけでは、【オリジナル】には足りないのではないかと思うのです。漁師が勇者になった話、『世界にひとつには2通りある。』の章を再考すると、【オリジナル】にはもうひとつの要素が必要であることが述べられています。

それが共感であり、共有です。誰にも共感されていないモノは、それがどれだけ特異なものでも、【オリジナル】足り得ないのではないか?落ちている石を指差してこれはオレの【オリジナル】だといっているのとあまり変わりありません。

といっても、別に大人数の共感が必要なわけではありません。

ポップカルチャーであろうとするなら、最大公約数を狙わないといけなくなり、それは僕たちの活動とは基本的に相反する行為になってしまいます。必要なこととは、作品に対する共感があって、それが共有されていることです。そこでうってつけなのが、たとえばここでいう「ファンドレイジング」というわけです。

ちょうど参考になりましたのでご紹介させていただきたいのですが、鵜尾雅隆さんという方がこのように定義しています。

ファンドレイジングとは『施しをお願いする行為』ではなく、社会に『共感』してもらい、自らの団体の持つ『解決策』を理解してもらう行為である。

『ファンドレイジングが社会を変える』

というのも、幸いなことに今の日本は今日明日食べるものがないという人が少ない。そうするとお金の使い道がたいへん自由になってきていまして、一種の投票に近いところまできている。

例えばある人はお気に入りの絵師のためにガチャをひく、またある人は好きなアイドルを応援するために円盤を買う、なにに使うか、投票するかは自由なのが資本主義のいいところですよね?

そんな背景がありまして、善意の気持ちを集めるという単純な従来型の寄付にも変化がある。もしくは変えていきたいという運動がある。それがファンドレイジングだといえるのではないでしょうか?

この「ファンドレイジング」をつかって、それがある程度成功すれば、それはその作品がある程度共感してもらっていること、それを共有することができるというわけです。

具体的な実施手段は以下のとおり。

実施手段について


  1. 一種の「ファンドレイジング」を実施する
    – 目標に達すれば、【オリジナル】の展示会を開催します
  2. 目標に達しない間は【オリジナル】の展示会はしない
    – いつまでたっても開催されないということもありえます
  3. 到達までの期限はなし
    – 開催はあくまで到達し次第です
  4. 到達方法も制限はなし
    – ルールはありません
  5. 到達額は逐次公開する
    – 進捗状況を共有します

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